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2010年5月12日 (水)

京舞・井上八千代伝説

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残念ながら年とともに記憶が乏しくなる。「老け込むのは早いよ」と、言ってくれるのだが……。
京都の友人で一風変わった茶人に誘われて、祇園につれていかれた。
京の春は祇園の「都をどり」ではじまるという。
私は、なにも分らないまま従った。京都には現在でも祇園の芸妓・舞子たちは、舞と茶道を必修とし、その他各自の志望によって、歌謡、三味、囃子などの稽古を受けるという。

そこで聞いた話である。
初代・井上八千代を継続している。(現在五代目)伝説の踊りの師匠に稽古をつけてくれないことを「おとめ」という。これが彼女たちの最大の脅威であるというのだ。三世・井上八千代以来、祇園に定着して、井上流は今五世に受け継がれている。

京舞・井上流の初代サトは長州浪人の娘であったといわれている。近衛家に行儀見習いに上がり、舞の素養を充実させた。三十歳で宿下がりした際、近衛家のご夫妻に「そなたのことは、玉椿の八千代までも忘れぬ」という言葉を頂いた。それ以来、八千代を名乗ったという。晩年玉蓮尼を名乗り、安政元年八十八歳で死去。

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二世・井上八千代は天明元年の生まれ、初代の姪とされている。義母に伴なわれて、しばしば御所に出た二世は、そこで演じられる金剛流の能にふかく傾倒し、その影響が、後に井上流の「本行舞」となって現れる。人形ぶり、能ががりという井上流の大きな二つの伝統はこうして初代、二世を経て作られ、観世流の名人片山九郎右衛門の妻女となった三世に至って完成されたものだ。二世は明治元年、七十八歳をもって歿した。

三世・井上八千代(片山春)は天保九年生まれ、昭和十三年、百一歳という驚異の長寿を完とうした、この女性はエネルギーのかたまりとでもいうほかない女丈夫であったという。百寿の祝賀会に「桶取り」を舞い、臨終の床で意識を失いながら、手振りで「万歳」「松づくし」等を、舞いつづけたとも伝えられている。実に舞の虫であった。

四世・井上八千代は数え四歳で三世の門に入り、大正六年、十三歳の時、内弟子となり、十五歳で名取を許された。十八歳で女紅場舞踊科の教師に抜擢された。師匠ゆずりの厳格な芸風に加えて巧緻な技の冴えは、先代以上の評判をとり、平成二年秋、文化勲章を授与される。誠実で謙虚でごまかしのない人として伝えられている。

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「――祇園と結びついたということは、私たちにとって本当にありがたいことでした。私たちはとても小さな流儀で、今は師匠をしている五人で井上流を支えています。ですから、小道具や衣装などを伝えるだけでも大変。稽古場にも蔵はありますが、祇園の歌舞練場にも保管させてもらえるので道具類を伝えることができます。それに、着物や扇、カツラなど、準備しようと思えば、京都ではすぐにできる。伝統産業というものが今につながっているからこそで、京都にいることの一つのありがたさだと思っています。
井上流の舞は、これまでの家元が吸収してきたものを反映して、御所風の上品な立ち居振る舞い、能楽や人形浄瑠璃から取り入れた形が特徴。また、家元が全員女性。お弟子さんもほとんどが女性だったことで、女性が女性を舞う自然体の舞でもある。さらに、京都の風土と同じく、あっさりとした好みになっています。畳みかけるような舞ではないため、食いつきの悪い部分はあるかと思いますが、かめばかむほど味わいがあります。色合いや衣装の取り合わせも東京、大阪と違います。東京にいて、着物のグループを見ても、その好みで「京都の人が来てはるな」と分かります。そういう京都の好みは残した方がいいと思っています。そもそも、舞と踊りとはどう違うのかと聞かれることがあります。舞の起源は水平の動きとされ、一人の人の心を伝えることから始まったといわれています。一方、踊りは垂直の動きで、集団で始まったとされます。ですから私たちの基本姿勢は、腰を落とすとともに、すり足です。体の芯を残したまま回るというような動きをします。一つの取り組みとして、洋服での日本舞踊もあるかとは思いますが、日本舞踊というからにはあくまで着物を着てほしいです。日本人のどこかに着物というものに対するあこがれもあるでしょうし、舞踊表現としても袖やたもとが必要です。そうした使い方をすることで、ほかとは厳然と違ったものになると思っています。今は、舞も踊りも重なり合う部分が多く、舞の中にも踊りに近い部分があった。ただ、演劇と違うということは明らかです。お客様が何も考えないで感覚的に居心地よくなるのが一番です。日本舞踊には雪、月、花、露、涙など日本人の琴線に触れるものがありますので、舞台を通して心のやり取りをしていただければと望んでいます」(五世・井上八千代)

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千年の都――京都。そこにはさまざまな文化が栄え、その跡を今にとどめている。祇園もそのひとつである。「しきたり」と「格式」の高さを保ち続けている。
明治のはじめから「祇園、それに西陣、本願寺に手を入れたら知事の首が飛ぶ」というジンクスがあった。
幕末の頃、薩摩、長州の勤皇の志士(西郷隆盛、大久保利通、高杉晋作、井上多門、井上馨、品川弥二郎)らが体を張って守ったのが祇園の女たちであった。

明治六年三月三十一日祇園新地に「婦女職工引立会社」を設置。工場たる座敷に上がって、職工さんのお酌で散在する。さすがに、この名は不適当と思われたのか、七年後に「女紅場」と改めた。その後、芸子・舞妓は終身この学校の生徒になる。現在は「八坂女紅場学園」となっている。

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三世・井上八千代の片山春子は天保九年生まれで、百三歳の長寿で亡くなるまで矍鑠として祇園新地に井上流の舞の師匠として、四世の愛子を始め、見事な舞手を育成した。夫・片山九郎右衛門は京観世流の宗家、その仲のよさは評判で、御所風の舞に加えられた能の振りは九郎右衛門氏によってさらに強められ、春子師匠によって練成され、これに人形ぶりが取り入られ、井上流はこの夫妻の愛情と厳しい研究によって大成されたといっても過言ではない。

第一回「都をどり」は、明治五年であった。同じ年に「女紅場」(学校法人、八坂女紅場学園)が誕生。歌舞音曲、茶、華、書道、絵画まで、芸・教養一般の教授がここでおこなわれる。

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三世八千代以来祇園に定着して、井上流は春の「都をどり」は若い芸・舞子による井上流の京舞の芸を競う。
花街としての祇園は祇園社に参詣する人々の休憩所であった水茶屋にはじまり。ここで接客にあたった茶汲女あるいは茶点て女が、おのれの芸を披露して客を慰め、往時これを「ほたる茶屋」と呼んだという説がある。加茂のあたりから、夜の東山を背景にした深い闇のなかに見える茶屋の灯火は、あたかも蛍の火のように見えたのだろう。そして、芸と点茶という二つの伝統は、今も変わらない。女がいるから花街ではない。芸が生きているから花街なのだ。祇園は、この伝統を守る数少ない空間である。
「舞は当時の京都としての遊芸でなく、容姿をしなよく優しく養うためで、立居のうつくしさが舞から自然に備わるといわれた」(島本久恵)

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宴会の席に芸妓が姿を現す。襖を開けて挨拶をし、顔を上げた時には自分の坐る場所をすでにすばやく見取っていて、すっと客の脇にきている。その間の立居振舞にいささの渋滞もなく、しかも宴席の雰囲気を少しも乱さずに、坐るべきところに坐って、あたかも当初からずっとそこにいたかのごとく不自然でない。こういう芸妓、芸者は必ずといってよいほど、舞か踊りにすぐれている。舞や踊に鍛えられた素養が、おのずと身にそなわり、日常の挙措動作にそれが現れるからだ。艶冶な色香が女の何気ない所作振舞に漂う。すでに坐っている容から違う「躾」とは」、そもそもそういうものである。
長い伝統と格式は近年侵されてきたという。友人が嘆いていた。
軽薄な現代化の波が、祇園を侵していないといえば、確かに理想を求める余り現実を見ていないことになる。末吉町界隈の変貌は、もはや祇園町の限界にきている。

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友人はこうも言う。
「井上八千代を中心として「芸」の支えによって守られているこの祇園の行事・しきたり、躾を、これから先々、どう維持していくか、茶人の自分としては他人事ではない。舞子への志望が年々減っていく。「数」の問題以上に、芸妓・舞子と躾という「質」の問題。祇園は女たちの「芸と躾」という、この二つによって、現代のかけがえのない文化と位置を保っている。安易な現代への迎合は自ら墓穴を掘るだろう」
友人の切実な言葉が耳朶から離れない。

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